蓮虹の人生

蓮虹の人生(自己紹介と忘備録その4)

蓮虹の自己紹介と人生の忘備録その4

中学生時代

中学生時代は

蓮虹の人生の中で、地獄の中の地獄でした。

まず、中学1年生

担任の先生は、小学校から中学校の先生になりたいと、赴任してきた

若い男の先生でした。

そして忘れもしない、小学1年生の頃に突然いじめを始めた子もまたなんの因果が

中学1年も同じクラスでした。

その子が担任の先生のことを嫌ったため、入学して5月頃から担任いじめが始まりました。

中学生のすることなので馬鹿らしいのですが

一斉に筆箱を落としたり、

チョークや黒板消しを隠したり

授業を聞かなかったり、キモいとか、心無い暴言を吐いたり

先生に頼まれたことは全て無視

先生の車に死ねとほっていたこともありました(犯罪ですよね)

そんなクラスでの中学スタートで、毎日気分が悪く

先生があまりに気の毒なので

先生の用事を引き受けたり、していると

しばらくして

無視

クラス全員から無視

そしてそのいじめのボスのような子は

生徒会などをしているくらい

周りからの信頼も厚いので

中学3年間はお察しの通り

無視と嫌味の連続でした。

無視って自分の存在を否定されているようでとても

しんどかった思いがあります

中学の頃から

朝吐き気や眩暈に襲われることがあり

欠席することも出てきました。

病院に行くも異常なし

思えばそのころから、憑依体質で、色々な人の感情に感応していたのかもしれません

心の不調で勉強ができない

勉強ができない言い訳を(笑)

小学生の頃から、心の不調が強くて

そして勉強の理解ができなくて、全く勉強ができませんでした。

中学生では順位が出ますから、最悪です

毎回、後ろから数えた方が早い・・・

テストのたびに母親からすごい勢いで怒鳴られるのです

いじめを受けているとか、悩み事は親に話したことはありません。

自分が安心して話せる場所というのは

子供の頃なかったのです。

中学時代の楽しみ

中学時代の楽しみは

漫画を読むこと

そしてカッコいい先輩の追っかけでした。

こういうところは、中学生してました。

先輩の追っかけができない3年生は地獄でした(笑)

3年生の時に行ける高校がないよとそれとなく言われて

母親が進学塾の夏季講座を予約し

スパルタ塾で勉強をしなおして

なんとか、高校に行けました。

塾ってすごいなと思いました。

成績がみるみる

上がるので、高校も住んでいた市の上から2番目の学校も受けられると

言われたのですが、

苦労したくないので、塾の先生に沢山文句を言われましたが

1つランクを落として受験しました。

選抜クラスに入るということが条件でした。

選抜クラスに入れましたが、昔なので、塾から誰がどの高校に合格したか

張り出していたのですが、中学は違うけれど

同じ系列の塾の子が高校の同じクラスにいました。

というか、塾から同じ高校に来た人は同じクラスの人だけでした

家庭環境は

中学の時の家庭環境

母親のことがあまり好きではありませんでしたが、

私が中学に入るころ

母親も自分で資格の勉強をして、新しく仕事を始めました。

私の塾代が高かったからだと思います。

裕福でない家庭で他の家庭のこと同じように

塾に行かせてもらえたことは大人になってから考えると

とてもありがたいことだったと思います。

自宅には、自室もなく、襖で区切られた部屋が3つある家で

家中の音が全て聞こえているし、

他の部屋に入る時には、みんなが通っていくので

エネルギーに敏感な私にはとてもきつい家庭環境でした。

普通の家で、自室がある友達が羨ましかったです。

きちんと戸があって自分の空間というのが、本当に憧れでした。

毎日親の顔色は見ないとなくて、プライベート空間がない

中学生には少ししんどい環境でしたが、

学校や塾に行かせるために親はとても苦労していたのだと思います

長くなりました高校生編は次に続きます