私は、子供時代自分の居場所がありませんでした
家もあり、両親もいましたし、祖父母もいました。
ですが、心から信頼できて、頼れてここにいたら安全だ
そういう場所ではありませんでした。
物心ついた時に、自分の母親が誰かわからなかった時期もあります。
祖父母の家で育ったので(写真では、親元で生活しているようですが、本当に記憶がない)
たまに祖父母宅に迎えに来る、髪の赤い人という認識でした。
母は、殴る、蹴る、どなる、等とても怖い存在でした。
母の機嫌を取るために、
常に家では息を潜めて、母の逆鱗に触れないように工夫して生活していたという記憶しかありません。
父親は、大工だったのでほとんど出張で、家にいることがほとんどなく
たまに家にいる時には、母に怒られている私を連れ出してくれたりしていました。
また別に書きますが、その父も今はとても大変なのですが、子供の頃の記憶があるから
今色々できているのかもしれませんね。
家では、どんなに気をつけていても、毎日機嫌をとっていても
母が荒れ狂うので、土日は祖父母の家に避難していたのですが、
祖父母の家も、曽祖母が認知症で徘徊や問題行動を起こし
祖父は、常に機嫌が悪く、祖父にも包丁を持って追いかけられたことがありました
周りの人の顔色を
逐一観察するのは、この時に身につけたスキルかもしれません
この経験は、私の心に大きな傷をのこし40歳を過ぎ本当に色々な困難を引き起こしました。
ブログで当時を思い出して少しずつ書こうとしても、記憶喪失のように抜け落ちています。
そこから、心理学や、風水、スピリチュアルなどさまざまな学びをし、
腹落ちをしてからとても生きやすくなりました。
生家が大変でも、自分自身の気持ちがしんどくても
いつからでも、立て直すことはできるし、
自分を幸せにする鍵を握っているのも、自分だからです。
他の記事にも書きましたが、私は5・6歳の頃から、死に対して、異常な恐怖を持っていました。今思うと、とても過酷な人生を生きる私が、
生きて学びを深めていくための大切な大切なエッセンスであったのかもしれないと
神様の大きな愛を感じました。
生まれた家族の傷は、一生背負っていく傷でもあります。
見て見ぬふり、自分は傷ついていないふり、
自分の中で良い記憶に書き換えてしまうと
そこを見つめて、人生を変えようと決心する時になかなかその部分に辿り着かず
堂々巡りをされる方がいます。
ここに気づけば、きっと幸せになれますよ。