蓮虹の人生の忘備録小学生になってから編
小学生になってから困ったのは、
ボタンがとめられない、なかなかひらがなの読み書き、計算ができないということでした。
また小学校まで遠かったので、登校班で登校していたのですが、
班長の6年生が歩くのが早いのなんの
小走りで走っていたことを思い出します。
小学校に入学して、学年主任が担任になり
勉強が全くできない私はいつも怒られていましたし
それを見ていた他の子達は、入学して数日のうちに体育館で
整列の練習をしている時に
たたいたり、つねったり、無視をしたりしてくるようになりました。
小学校、中学校と同じ人で上がる学校だったので
そこからいじめも始まりました。
とにかく、ひらがな、カタカナ、漢字がわからない
わからないから、授業が始まってもなおわからない
また母親は朝食を作らない人で、朝食は抜きで
次第に給食の時にお腹が空きすぎて、嗚咽がするようになり
小学1年生の時には勉強ができないプラス、給食が食べられない
運動もできないというもうザ・いじめられっ子でした。
そして当時我が家は貧困家庭で
お風呂に毎日は入れない、洗濯も毎日はできない
そのことから、衛生的にも良くない感じでした。
毎日お風呂に入れて、毎日朝食事が食べられて
家で安心して眠れる。そういう暮らしに憧れていました。
いつの頃から、宿題もしなくなり
正確にいうと、しないのではなくできないのです。
文字の読み書きがまともにできないのに
算数の問題は理解できないし、
何を指示されているかもわからない。
宿題をしないことを担任の先生に怒られ、
親にはテストの点数が悪いと怒られ
学校ではいじめられて
人生の中で安心して暮らせる場所はどこなんだろう。
そう感じる小学生時代でした。
その中で、近所を散歩しながら植物や土地、家を見たり
エレクトーンを習っていたり、書道をしていたので
何かに打ち込む時間が
救ってくれたのでした。
そして私にはもう一つ、
死の恐怖がとても強くありました。
死が怖くて怖くて
夜も眠れないことがありました。
今思えば、死の怖さを与えることで
生きることを選ばせてくれていたのかもしれません。
子供の頃に
あなたには価値がない。
そう言われて育つと
子供は本当に素直なので、私には価値がないんだと、思い込みます。
そして小学生の4年生ごろになると
学校の先生に勉強ができないことで怒られることが増えて
教えてくれずに頭ごなしに怒るのです
なぜできないんだ。他の子はこの教え方でできているのに
そう言われ続けて、
怒られないように人の顔色ばかり見て生きている私は、
学校に行くだけで怒られる
それを見て、同級生にもいじめられる
心の底に
いつかこの人たちに復讐してやるといつも心の中で思っていました。
我ながら怖い子供ですが・・・
子供の頃、自分の味方がいないということは
本当に辛いことです。
先生がいつも叱る子と友達になってくれる人はいません
小学校時代は、本当に地獄でしたが、
1日1日心を不感症にして生きていくということを
なんとなく身につけたのもこの頃でした。
親が読み書きを教えてくれないことが
人生のスタートで辛かったので、
母親になり、小学生になるまでに
子供にはひらがなを教えてたかったのです
子供が小さい頃はこどもちゃれんじが流行り、
しまじろうにお世話になりましたが
小学生になる前にひらがなの読み書きまではできるようになりました。
話はそれましたが、
小学生時代を思い出そうとするととても苦しい
でもその苦しさがまだまだ人生で続いていくのです・・・
次は中学高校生へと続く