蓮虹の人生経験&学び

蓮虹の人生(忘備録&自己紹介その2)

蓮虹の人生の忘備録その2 

保育園に入ってから

保育園は、家の近所の保育園に通っていました

幼稚園バスでお迎えが来て、おしゃれな制服に小さなランドセルを背負って通う

幼稚園にとても憧れながら

保育園ながらのスモックが公式の制服でそして、私が入った頃は

これは何色?みたいな緑のような青のようなじじくさいスモックでした。

私が年中の時に、男の子は薄い水色、女の子は薄いピンクのスモックに変わりましたが

私の家は貧しいので、毎年スモックを買い替えるお金がなかったのか、私は年長まで

じじ色のスモックを着ていました。子供ながらに嫌だった記憶があります。

保育園は、高齢の園長先生がいて、朝早くから夕方遅くまでいた私は、

よく園長先生のお部屋に遊びに行っていました。

折り紙や、工作が全くできなくて

小さい頃から手先が器用ではなくて

運動神経も全くなく、走るといつもビリ

鉄棒やマット運動、跳び箱など壊滅的

保育園という集団に入って感じたことは

劣等感でした

何をしてもできない

これが私が一番最初に感じたことでした。

できないことを怒られる時代でしたので、いつも

保育園で怒られる、家では親に怒られる

ダブルでどこに行っても怒られるという人生のスタートでした

何か得意なことはあったのか?

それは人の世話をすること。

自分より小さい年齢の子のお世話をすることがとても好きでした。

卒園アルバムにも小さいこのお世話をしてくれて、とても喜んでいたと書いていて

何もできない自分なりに、自分ができそうなことを探していたんだなと

当時の自分を褒めてあげたいです。

友達はいて、友達で困ったことは保育園の時にはありませんでした。

我が家は友達を家に連れてくることを禁止されていた家でした。

一度たくさんの友達を家に呼んでとても怒られた記憶があります。

対して、お友達の家は、とても綺麗な2階建てで、トイレも水洗で

家の中に入って遊ばせてくれる

当時の私にとってとても嬉しく幸せな時間で

いつかこんな綺麗な家に住みたいなと

ずっと思っていました。

当時私が住んでいたのは、築50年の長屋

お風呂は一度外に出ないといけない構造で

トイレは、ぼっとんトイレ

(足を落としたりとても怖かったです)

洗面所もなくて、シャワーもなくて、

自分の部屋もない。家にネズミやムカデなどが普通にいて

隙間風がスースーの家でした。

子供の頃、いつか必ず綺麗な家に住む

これが私の夢でした。

今はとても良い環境の家に住めて本当に感謝です。

保育園の頃は、自分の家が貧しくて他の家が違うこと

勉強や運動が全くできないこと

他の家ではお母さんが勉強や本を一緒にしているけれど、

私は家で全くそれがないこと

自分なりに、できることを見つけようと努力していたこと

そんな保育園時代でした

次は小学生時代に続く・・・