蓮虹の人生

蓮虹の人生(忘備録兼自己紹介その1)

蓮虹の人生を忘備録としてまたは、自己紹介として書き綴っていこうと思います

1980年4月 四国の愛媛県に生まれました。

赤ちゃんの頃の記憶があまりなく記憶が断片的に出てくるのは、

3歳ごろです。

その頃は、母方の祖父母の家で主に生活していました。

ずっと祖母を母親のように思っていました。

日曜日の18時になると、髪の毛の赤いお姉さんが迎えに来るのですが

それが母親だと認識した時には衝撃的でした(記憶に残っているので、この人がお母さん)と感じたのでしょう。

とても怖い存在だった母親、

叩く、蹴る、水をかける。さまざまなことが日常の中でありました。

ボタンが止められない、歯磨きが綺麗にできない、早く支度ができない

怒られる理由はいつも【お母さんの言うことが聞けない】

と言う理由でした。

そこから学んだのは、人生は誰かの言うとうりに生きなければいけないんだと言うことです。

幼少期祖父母の家で過ごす時間は、祖父が怒ると包丁を持って追いかけてくるのですが

それ以外は割と平和でした

花や植物を話をしたり

近所の土地から匂いを嗅いだり独特な遊びもありましたが

近所に住んでいる人は皆知り合いで、距離感も近く

雨が降れば洗濯物を取り込んでくれている

そんな感じで、地域で生活をしているという感じでした。

道を歩いていれば誰か近所の人が話しかけてくれる。

そんな状態

祖父母の家は神仏を大切にしていて、

朝は、太陽礼拝のように太陽を拝むことから始まり

台所の神様、トイレの神様、神棚とご飯をそなえ

そして仏様に般若心経をあげる

神仏がとても近くにある生活をしていて、私も近所の神社に遊びにいくのがとても好きでした。

常に近くに神様がいる生活を祖父母のうちで暮らしている間はしていました。

そんな祖母のことを母は毛嫌いしていて、

神仏を大切にすることをとても嫌がっていました。

私が人の気持ちに色や感覚があることや、人から感じることを伝えても

祖父母にも、母親にも嫌がられていました。

父親はいますが、大工で出張ばかりで家にいるのは

週末しか見たことがなく、週末もパチンコや自分の遊びで家にいることがあまりなかった気がします。

祖父母の家は、金縛りが起きたり、不思議な物音がしたり

急に意識を失ったりする、不思議な家でした。

人や物、場所から感じる匂いや独特なエネルギーを感じながらそれは口に出すことを禁じられ

そしてそのために感じるいきずらさも全部自分の中に封印して

私の生活は始まりました。

常に言われていたことは、

・人に迷惑をかけてはいけない

・人に笑われることをしてはいけない

・泣かすより泣かされとけ

・働いて働いて働くだけが人生か

・倹約。贅沢は敵

まだまだ4・5歳の私は全く意味がわからないけれど

体感的に縄で括られていて

自分の好きに人生は生きてはいけない

人に喜ばれることをしないといけないんだと

自分の好きなことを探す人生でなく

誰かを喜ばせる人生を歩まないといけないと

インプットされたのです。

私の遊び相手は、

近所のおばあちゃん

庭や道路に咲く花

言葉でなく、心で話しかけ

心に何か返ってくる

妄想遊びのようなことをしている時間が

とても幸せでした。

そして言葉を喋る人間は苦手でした

なぜなら、言葉と、心から出てくる言語が違ったからです。

花や、木・動物と心で話すことをして遊んでいた私は

人間の心から出てくる言葉も聞き取ってしまい

どちらにどう反応すれば良いかわからず

いいこに振る舞うための

ひと通りの言葉を覚えていた感じです。

次はその2 保育園に入ってからを書きたいと思います