蓮虹が子供の頃から生きることに疲れてしまった時に
今思うと神様からのギフトであったと思うことを紹介したいと思います
生きることがしんど過ぎた子供時代
蓮虹の子供時代は
生きることがとてもしんどくて、毎日毎日体や心に痛みを感じながら生きていました。
安心という言葉は人生の中で皆無であり
いつも恐怖と緊張と辛さを纏っていました
今から思うと人が近づいてこない典型的な子供ですよね
楽しいという思いが欠落していました。
家では親に怒られ、親が怒らないか機嫌が悪くないか
いつも顔色を伺い
学校ではいじめにあい、勉強や運動もできず
学生時代って、勉強や運動ができないと
なんとなく学校に居場所がないという感じもありますよね
子供の頃からなんとなく見えない世界を信じていた
子供の頃から
見えない世界を信じていて、特に何かがあるとか知っているというのではなく
感覚的に感じていました
そして生きることに疲弊していた私は
生きる意味をいつも投げかけていました
生きる意味はなんですか?
泣きながら、何度も見えない世界に問うたことがあります
そして帰ってくるのは
死の恐怖
あまりの恐怖に死ぬことへの恐怖が襲ってきます
そしてそれは何度も繰り返されました
そして、
とにかくなんでもいいから生きよう
私の中で
生きる意味を聞くことをやめて
どんなに辛いことがあっても何か乗り越えられる方法はないのか
どうにかして超えていく方法はないのか
そう考えて行動するようになったのです
今思うと、
例えどんなに生きる理由、良い理由を知らされたとしても
未熟すぎる10代の私は、そんなこと私には関係ないし先の未来の幸せなんて
今の自分から信じられないし意味がない
そう言ってどんな言葉もどんな助言も無視して
生きることをやめていたかもしれません
死の恐怖というのは
神様からのギフトでした
つきまとう死の恐怖
生きることを選んでも
時々付きまとう死の恐怖
怖くて押しつぶされそうでしたが
それも神様のギフトですね
人生がのことが色々わかってきた時にスピリチュアリズムの勉強をする機会をいただきました
スピリチュアリズムは人生観を変えた
まるで呪文のように私が恐怖だった私
時を得て、癌の手術を超えて
子宮と卵巣の手術を超えて
生き残れた時
その学びの機会がやってきました。
昔からなんとなく感じていただけの
霊界のことを学び
死についても学びました
神様はやっぱり万能です
人生の経験をしてきて死と隣り合わせの病気と向き合い
終えた後
死について学びました。
そして今までのとても怖いものというものではなくなり
ああそうかと受け入れられるようになったのです
最高のタイミングでわかるようになっている
なんでも簡単に答えが知りたい、答えが知りたい
すぐに簡単に、一番良い方法を知りたいと思うけれど
そんな時は天は味方になってくれませんし教えてもくれません
そしてその時に一番効果があるようなことを教えてくれます
私は生きる意味を問うたのに
答えは死の恐怖
これも感覚的に感じさせられて本当に怖かったです
そしてきちんと生きてきた後は
その闇雲に怖がる死の恐怖を取り除いてくれる
学びを与えてくださいました。
知るべき時に、知るべきことを知るようになっている
このことを実感として感じることができました。
まとめ
子供の頃
生きることが辛好きて、生きる意味を聞いた時には
死の恐怖を伝えてくださり
これは、何がなんでも生きた方が良いようだな。
ととにかく、下手でも転んでもいいから
生きることを選ぶという選択を
人生の中でしてきました
私が生きることを諦めやすいのは
アガスティアの葉を開けた時にその理由が書いてありました。
そしてもう生きることがベースになってきた時に
死の恐怖を取り去る
スピリチュアリズムの勉強をちゃんと用意されていたのです
やはり神様は完璧だなと思いましたし
人生は楽には生きられないものだということも
感じることができました