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学校教育を真面目に受けると社会で通用しなくなる?

学校教育でを真面目に受けてくると、

様々な規則や、規律、暗黙のルールや集団で生きるときのルールなどが

教えられます

特に私達が過ごした年代にはより濃くその特徴が出ていて

その教育があまりよろしくなかったから、今の子供達の教育の仕方が

昔とはとても変わっているのですが、またそれも両極端だなと感じることがあるのです。

学校では指示通りに動け。社会に出たら指示待ち症候群と言われる

学校では指示通りに動くようにとても厳しく言われた記憶があります。

特に昭和生まれの私たちは、

制服、かばん、靴、髪型、自転車の色、髪の毛のゴムの色、スカートの長さ

上履き、体操服すべて指示がありました。

勉強も課題もすべて指示があり

何日までにこれを出す。

次はこれをする。

指示通りにできない場合は厳しく指導されていました。

ワークなど、自主的に進めたり、自主的に勉強したりしても

そこはまだ習ってないところだ!!勝手なことをすると

輪が乱れる。

また、職場でも手が空いていて、外の花壇が草が沢山茂っていて、

お客様を迎えるのにあまり良くないと、外の草むしりをしたるすると

勝手なことをしないでほしい。そう言われてきました。

そして指示通りに動くと褒められる。

言われた以上のことをしたら叱られる

そういう経験を積んで大人になってきます。

それは立派な指示待ち症候群を作っているのです

そして沢山の集団の中で、何かを自主的に発言して

それを決めて良いのは選ばれたごく一部の人だけ。

その他大勢の人が自分の意見を口々に話されると場がまとまらないので

やめてほしい。

教師からもいつもそう叱られた気がきます。

何かを決められる権利が与えられているのは

一部の成績の良い人たちだけ

学級委員とか、生徒会とかそうやって自分たちで選んだ人に

決めてもらうというシステムで育ってきました。

会社では年功序列で、

部下は上司の指示に従うこと

そうやってきちんと指示を聞いてください。

そう新入社員の時ににも教えられます。

社会に出ると、突然指示待ち症候群だ

使えない。自分の頭で考えることができないのか

何も指示がないと動けないのか

言われたことしかできない

言われたことはきちんとするけれどそれしか能力がない

という評価に突然変わるのです

指示を待てと学び、指示を待つなと怒られる矛盾

社会に出て

何人かの人はこの問題に当たるのではないでしょうか。

今まで言われたことは、すべて完璧にこなし、先生にも周りの大人にもとても褒められてきた。

指示を与えられたら完璧にこなす力をつけている

ただ、自分で考えるという教育は受けていないので

自分で考えるという知恵すらも浮かばない

ひたすら指示を仰ぐのを待っていたら、ある日突然

指示待ち症候群と言われて、自分で考えて動けと言われた。と

指示待ち症候群ができる大まかな理由

  1. 教育や育成環境: 幼少期から厳しい指示や管理の下で育てられた場合、自分で考えたり行動したりする機会が少なくなることがあります

    特に教育に厳しい親や、機能不全家庭に育つとこの傾向が強くなります。
    付き合う友達、いく学校、門限、携帯の中身などすべて管理されていますので、
    その指示に従おうとすると思考を停止する必要があるのです。
  2. 職場の文化: 上司や同僚からの厳しい管理や評価が強調される職場では、自主性が抑制されることがあります。
    ワンマン社長や、厳しい評価制度があり、その結果給与や賞与に響く場合は、できるだけ言われた通りのことをこなすことで波風を立てないようにしようとする傾向があります。
  3. 失敗への恐怖: 失敗を恐れるあまり、指示を待って行動することでリスクを避けようとする心理が働くことがあります。
    上記の2つの理由が引き金となることが多いのですが、指示以外の行動を取り、厳しく叱責される経験を積み重ねると、たとえその叱責がただの相手のその時の感情的なことだとしても、叱られないように行動しようという自分を守る働きがあります
  4. 経験不足: 新しい環境や職場での経験が少ない場合、自信を持って自分で判断することが難しいと感じることがあります。

    初めはできなくて当然という風習がないため、最初から完璧にできて当然という教育なので失敗しるかもしれないという怖さから、経験しないと、実力がつかないのに経験していかない。そして、職場などでも経験させると足手纏いになるから、経験させないという風習が強いように感じます

変わってきた教育

私には子供がいるのですが、子供の時代になり教育が大きく変わってきました。

今までの教育のあり方。誰かが指示をしてそれをこなしていくだけの人員を育てたのでは、生産性も上がらず、国も、物も、人も進化していかないことが

わかり改善されているのかもしれません。

最近は自分の意見を伝えるということを大切にしていたり、授業も机を輪っかにして、皆で話し合うという方法も取られています。

まだ、子供が進んだ通信制の高校は、課題の枚数、提出期限は決まっていますが、どう進めて、いつ出すかは、決まっていません。

本当に自分で考えて行動していく

その教育を採用しているようです。

ただ、今まで小中学と、すべてああしてください。こうしてくださいと言われてきた中で

突然、ポンと自分で考えるということを投げられるとそれはそれで、また混乱し

できない人が頻発します。

学生でもそうなので、大人で社会に出て、自分で考えろとか自分から進んで動けと言われても

その意味すらわからず、心を病んでしまう人が多くなるのではないかと思います

指示をそのまま行うことも、自分で考えることも大切

今まで偏った教育を受けてきてきた中

どっちも大切で、

どちらも必要

なので、とても難しいのですが、学校教育の中で

この2つとも大事だということを幼い頃から

教えていくといいのではないか

そしてせめて家庭ではそう教えていくことが大事なのではないかと思います

自分で考えることは正解がわかないこと

よく私の考えは正しいですか?

正しいかわからないから、自分で考えたくありません

そうおっしゃる人が多いです。

とてもわかります。私もずっとそうでしたから。

数学などの必ず同じ答えを出すも、その職種職種である安全性や基礎のことでない限り

自分で考えたことに正解、不正解はないのではないかと考えています

まとめ

指示をこなす優秀な人材を沢山日本の教育では作られてきたと思います。

ですが、いろいろなことを企画して考えて行動するのは

その中で一部の人に許された特権であったと思います。

確かに

みんなで好き勝手伝えてもダメなものもあります。

ただ、自分の意思で動くことも必要なので、ガチガチに決めなくても良いことは

自分の自由、自分の個性を出せるよ場が一つでもできたら良いのになと思います。

誰かの個性をバカにせず、その個性がこれからの世界をよくるすエッセンスかもしれない

そう思う視点をまず一人からでも持っていけると

いいなと思います。

指示待ち症候群。作ったのは世の中です。

それを変えていく時には、その人たちを指示待ち症候群と蔑むのではなく

そこに気づいて

ここから自由に考えてみようか。と少しずつ

カチカチの考えを和らげていく指導者、上司、親がいてくれたら良いなと

思います

そして私自身もそういう大人でありたいと思います。

私も立派な指示待ち症候群でしたから・・・  

それで自分の成長を大きく遅らせました。

指示待ち症候群、学校に行くとそうなるのは当然です。

まずは気づいて、自分を変えてみる一歩を踏み出してみましょう